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東京地方裁判所 平成4年(ワ)20135号 判決

原告

瀬尾省司

ほか一名

被告

平井信一

主文

一  原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告らは、各自、原告瀬尾省司に対し、金二九三九万九九三七円及びこれに対する平成三年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告瀬尾操子に対し、金二九三九万九九三七円及びこれに対する平成三年七月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  訴訟費用の被告らの負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、信号機のある交差点の横断歩道を自転車で通行中に交差道路を進行してきた普通乗用自動車に衝突されて死亡した被害者の相続人(原告ら)が、被告平井信一に対しては民法七〇九条に基づき、被告三和八洲交通有限会社に対しては民法七一五条・自賠法三条に基づき、右死亡に伴う損害の賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

(一) 事故の日時 平成三年七月一〇日午後二時二五分ころ

場所 東京都練馬区関町南四丁目一四番先交差点(通称・青梅街道関町四丁目交差点)

(二) 加害者及び 被告 平井信一

加害車両 普通乗用自動車(タクシー・多摩五五う一六八五)

(三) 被害者 瀬尾太郎(昭和五一年一〇月一一日生

本件事故当時一四歳・中学三年生)

(四) 事故の態様 被告平井が加害車両を運転し、事故現場の信号機により交通整理が行われている交差点を直進進行中、交差点出口の横断歩道上を左方から右方に向けて自転車に乗つて横断してきた被害者と衝突したもの。

(五) 事故の結果 被害者は、右事故により脳挫傷の傷害を負い、四日後の七月一四日、搬送先の武蔵野赤十字病院において、右傷害により死亡した。

2  責任原因

被告三和八洲交通有限会社(以下、被告会社という。)は、加害車両を所有し同車を自己のため運行の用に供していたものであり(自賠法三条関係)、また、本件事故は被告会社の被用者である被告平井が被告会社の事業の執行中に惹起したものである(民法七一五条関係)。

3  被害者の相続関係

被害者は、原告瀬尾省司・原告瀬尾操子夫婦の間にもうけられた子であつて、被害者には他の相続人はいない。

4  損害の填補

本件事故による被害者の死亡に伴う損害については、自賠責保険から金二六九二万円、被告会社から金二〇〇万円の合計金二八九二万円が既に原告らに支払われている。

三  本件の争点

1  事故態様とこれを踏まえた被告らの責任

2  損害額

3  過失相殺

第三争点に対する判断

一  事故態様とこれを踏まえた被告らの責任

1  原告らは、「被告平井は、加害車両を運転し、信号機により交通整理の行われている交差点を直進進行するにあたり、信号無視、前方注視不十分の過失により本件事故を惹起したもの(そして、衝突時には被害者の対面する横断歩道の信号が青になつていた可能性が高い。)であるから、民法七〇九条に基づき、被害者の死亡に伴う損害を賠償する責任がある。」旨主張し、被告らは、加害車両が黄色信号で交差点に進入したことは認めつつ、同被告の責任を争う。

2  よつて判断するに、本件事故の発生状況については、関係各証拠(甲1号証、4号証、乙1号証ないし36号証及び被告平井本人尋問の結果)によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、別紙現場見取図(乙7号証の実況見分調書添付のもので、以下に摘示する各地点は同図面の位置)のとおりであつて、東西に走る都道・青梅街道と南北に走る区道とが交わり信号機により交通整理が行われている交差点であり、加害車両の進路である青梅街道は、歩車道が縁石で区分された車道幅員一九・六メートルの直線で平坦なアスフアルト舗装道路で、中央分離帯により上下線が区分され、交差点手前では片側三車線、交差点出口から片側二車線となつており、制限速度は時速五〇キロメートルである。

また、加害車両の進路の交差点入口の停止線から出口の横断歩道端まではおよそ三六メートルである。

(二) 被告平井は、加害車両(トヨタクラウンのタクシーで乗客一名が同乗)を運転し、青梅街道を新宿方面から田無方面に向かつて時速約五〇キロメートルで第二車線を通行して現場交差点に接近し、その際、停止線から三四・九五メートル手前の地点(〈1〉)で対面信号が黄色になつているのを認めたが、そこで制動措置を講じていれば交差点手前まで停止線で停止できたはずであるにもかかわらず、停止しようとせず、しかも減速もしないどころかそのまま交差点を通過すべくアクセルを踏んで時速約五五キロメートルに加速して交差点に進入した。

そして、停止線の五・一メートル手前(〈1〉から二九・八五メートル進行した〈2〉)では、被害者の自転車が交差点出口の横断歩道のやや手前の車道左端(〈2〉から三七・四メートル先の〈ア〉)に自車と同方向にゆつくりと進行しているのを認めたが、横断歩道左側はビルの工事中であつたことからこれを避けて歩道ではなく車道を通行してそのまま車道左端を直進していくものと判断し、いつたんはこの自転車から注意をそらせた。

ところが、交差点のほぼ中央付近(〈2〉から二二・九五メートル進行した〈3〉)で、被害者の自転車が横断歩道左端側から右方に進出してきた(一九・〇五メートル先の〈イ〉)ため、急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に切つて衝突をさけようとしたが及ばす、加害車両の左前角付近が被害者の自転車の前部右側面に衝突し(〈3〉から二一・一八メートル先で横断歩道端から六・二六メートルの〈×〉・〈4〉・〈ウ〉)、被害者をはねとばした。

(三) ところで、本件では、被告平井の責任のほか過失相殺の判断にも関連することから、加害車両が交差点に進入した際の被告平井の対面信号が黄色であつたか赤に変わつていたか、また、被害者の横断開始時や衝突時の対面信号が赤であつたか青に変わつていたかという点が争われているので、更にこの点について検討するに、前掲各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(1) 現場交差点の信号周期は、一周期が一〇二秒であり、本件に関係する部分については、加害車両の対面信号が青五三秒ののち黄三秒を経て赤となるが、赤の最初の二秒は全赤で、その後にこれと交差する被害者側の横断歩道の対面信号が青(二八秒)になる、というものである。

(2) 被告平井は、右(二)のとおりの供述をしており、これによれば、加害車両がどの地点で対面信号が黄及び赤に変わつたかは判然としない。

(3) そこで事故の目撃者の供述するところをみると、以下のとおりである。

〈1〉 原付自転車を運転し加害車両と同方向に第一車線を進行してきて事故を目撃した足立良雄は、「被害者の自転車が横断歩道上に進出したときには、加害車両側の対面信号は赤であつたが、いつの時点で黄から赤に変わつたかは見ていない。」としつつ、現場に居合せた者の感覚的印象として「加害車両は赤か黄で交差点に進入したと思う。」とする(乙7号証、21号証)。

〈2〉 加害車両に乗客として同乗していた地引和夫は、「衝突の衝撃で目を覚ますと加害車両の対面信号は赤であつた。」とする(乙17号証)。

〈3〉 ワゴン車を運転し加害車両進路と同方向の第三車線(右折レーン)から右折すべく交差点中央付近で停止中に事故を目撃した大鐘朗一は、「信号が黄に変わり前車に続いて発進右折しようとした直後に加害車両が交差点に進入してきた。そして、衝突の瞬間に加害者両側の対面信号を確認したところ赤であつた。」とする(乙10号証、19号証、34号証)。

〈4〉 被害者が横断しようとした横断歩道の対面側で自転車に乗つて信号待ちをしていた武田さち子(当時一一歳)は、「そろそろ信号が変わるのではないかと思いながら見ていると、被害者の自転車が赤信号なのに(横断歩道脇から横断歩道側に)右折してきて横断し加害車両に衝突された。」とする(乙20号証・司法警察員に対する平成三年七月二六日付供述調書)。

なお、武田は、平成五年一〇月二四日、原告代理人の質問に答える形で「被害者が横断を開始する際の信号が赤か青かということは、はつきりと見てはいないのでわからない。」などと供述するに至つた(甲3号証)が、同女が捜査段階における供述を二年余を経たのちになつて変更するに至つたことには特段合理的な根拠も窺えないことから(本件では、事案の性質上、特に加害車両と被害者の双方の対面信号の表示が問題となつていたはずであるから、目撃者から事情を聴取した警察官においても、この点に関しては特に慎重を期して取調べにあたつたことは想像に難くない。)、右甲3号証において内容を変更した供述は採用することができない。

(四) 右の証拠関係を総合すると、まず、加害車両の対面信号は、衝突時には赤色であつたことは明らかであり、また、大鐘供述からして加害車両が交差点に進入したときには黄色であり、そして交差点進入後に赤に変わつたものと認められる(時速五五キロメートルの場合、秒速一五・二八メートルであり、黄色信号の三秒間に四五・八四メートル進行するから、停止線の三四・九五メートル手前の〈1〉地点で黄色信号を確認したという被告平井の供述とも矛盾しない。)。

そして、仮に、加害車両が停止線通過直後に対面信号が赤になつたとすると、二秒余りで交差点出口の横断歩道端に到達することになり、衝突時に被害者の対面信号が未だ赤であつたか青に変わつた直後であるかという点は微妙であるが、少なくとも、被害者の横断開始時にはその対面信号が赤であつたことは、捜査段階の武田供述のほか、被害者の衝突地点までの移動距離とこれから推測される移動時間などから明らかというべきである(なお、過失相殺等において判断要素とされる信号表示が赤か青かという点は、横断者の場合、衝突時よりは横断を開始した時点を重視するものである。)。

3  以上の事実関係に徴すると、被告平井にあつては、交差点に接近するにあたり、対面信号が黄色であることを認めた際に制動措置を講じていれば、その速度と停止線までの距離からして、交差点手前の停止線で停止し得たはずであるにもかかわらず、右の信号機の表示を無視したうえ加速して交差点を通過しようとしたこと、また、このように信号の変わり目の時点には、特に周囲の状況に気を配らねばならないにもかかわらず、停止線の手前で自車の進路左前方の車道上にいた被害者の自転車の存在に気づきながら、その動静に留意せずにそのまま進行したという過失があり、これが本件事故の原因をなしているものというべきであるから、民法七〇九条に基づき、被害者の死亡に伴う損害を賠償する責任があることが明らかである。

また、被告会社にあつては、加害車両の運行供用者であり、被用者である被告平井が被告会社の事業の執行中に本件事故を惹起したものであることは当事者間に争いがないことから、民法七一五条及び自賠法三条の責任を負うこともまた明らかである。

二  損害額

1  被害者の損害 認定総額 金四五八四万九三六一円

(一) 逸失利益 金三五七九万九三六一円

(原告らの主張 金三八六六万九八七四円)

関係各証拠(甲2号証、5号証、乙16号証)によれば、被害者は、事故当時一四歳の早稲田大学付属早稲田実業学校中学部三年に在学していた男子中学生であつたことが認められ、これによると、被害者の逸失利益は、事故時の平成三年賃金センサス・男子・企業規模計・学歴計・全年齢の年収額金五三三万六一〇〇円を算定の基礎とし、生活費控除率を五割とし、二〇歳時から一般に就労可能とされる六七歳時までの年数につき該当ライプニツツ係数を用い中間利息を控除して算出すべきであり、以下の計算式のとおり、金三五七九万九三六一円となる(一円未満切捨て。)。

5,336,100×(1-0.5)×(18.4934-5.0756)=35,799,361

なお、原告らは、「被害者は学力優秀かつ健康な男子であり、右中学部では同高等部への無試験で一〇〇パーセント進学することができ、また、同高等部から早稲田大学への進学率は約八〇パーセントであることから、被害者が早稲田大学へ進学する蓋然性は極めて高いものであつた。」として、逸失利益の算定基礎としての所得を大卒者の賃金センサスによるべきである旨主張するが、被害者が未だ中学三年生であつたことからすると、たとえその主張するところが真実であるとしても、右の点のみをもつては、未だ大学を卒業することの蓋然性が高度であるとまでは認定することができない。

(二) 死亡慰藉料(被害者分) 金一〇〇〇万〇〇〇〇円

(原告らの主張のとおり)

前掲各証拠によつて認められるところの事情、すなわち、被害者は、原告ら夫婦の間にもうけられた一粒種で、そのこともあつて原告らの手によつて特に大切に育まれて成長してきたもので、原告らにとつて被害者は自慢の息子でありその将来に期待するところも大であつたこと、しかるに、本件事故で信号無視の車両に衝突され突然にして最愛かつ唯一の子の生命を奪われるという悲惨な事態に至つたもので、年若くして前途を断たれた被害者自身の無念さをもとより、原告ら夫婦の悲嘆と憤りは察するに余りあることなどの諸事情を勘案すると、被害者の死亡に対する慰藉料の額は、被害者本人分とその両親たる原告ら夫婦の分を併せて金二〇〇〇万円と判断され、被害者本人分として金一〇〇〇万円、原告ら両親の固有の分としては各金五〇〇万円とするのが相当である。

(三) 自転車 金五万〇〇〇〇円

(原告らの主張のとおり)

乙13号証及び弁論の全趣旨によつてこれを認める。

2  原告らの損害 認定総額

合計金一一二〇万円(各金五六〇万円)

(一) 葬儀費用 合計金一二〇万円(各金六〇万円)

(原告らの主張 合計金二〇〇万円・各金一〇〇万円)

関係証拠(乙16号証)及び弁論の全趣旨によれば、被害者の葬儀には相当額の出捐がなされたことが明らかであり、その具体的金額についての立証はないものの、少なくとも金一二〇万円を超えるものであつたものと認められるから、右の金一二〇万円の限度でこれを認める。

(二) 死亡慰藉料(両親分) 合計金一〇〇〇万円(各金五〇〇万円)

(原告らの主張 合計三〇〇〇万円・各金一五〇〇万円)

前示1・(二)で判断したとおりである。

三  過失相殺

1  被告らは、「被害者は対面信号が赤であるのに横断を開始したもので、加害車両が対面信号が黄色で交差点に進入しその後衝突までに赤に変わつたという点を考慮しても、なお被害者の落度は大であり、過失相殺の割合は七割を下らない。」旨主張し、これに対し、原告らはこれを争い、「被害者が横断を開始した際に対面信号が赤であつた証拠はなく、被害者には落度はなかつた。」旨主張する。

2  よつて判断するに、本件事故の態様は、前示一で認定したとおりであつて、加害車両を運転していた被告平井にあつては、交差点に接近するにあたり、その速度と停止線までの距離からして、対面信号が黄色であることを認めた時点で制動措置を講じていれば、交差点手前の停止線で停止し得たはずであるにもかかわらず、右の信号表示を無視したうえ加速して交差点を通過しようとし、しかも、停止線の手前の自車の進路左前方の車道上にいた被害者の自転車の存在に気づきながら、その動静に留意せずにそのまま進行したという過失によつて本件事故を惹起したものであり、他方、被害者にあつては、幹線道路において、対面信号が赤であるのにこれを看過あるいは無視して自転車で横断を開始した落度があるというべきで(本件のような信号の変わり目の場合には、交差道路側の信号が赤になつているとしても、通行車両の有無・動静には特に留意すべきである。)、以上の加害者の過失と被害者の落度の双方を対比して勘案すると、本件事故で被害者らの蒙つた損害については、少なくとも五割は過失相殺によつて減額されるべきである。

3  前示二の認定損害額から、右の過失相殺によつて五割を減額すると、被害者自身の損害については金二二九二万四六八〇円、原告ら固有の損害については金五六〇万円(原告ら各自につきそれぞれ金二八〇万円)となる。

四  相続関係と既払金の控除及び賠償残額

1  原告らが被害者の両親たる相続人であつて本件事故による被害者の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続したことは当事者間に争いがないから、原告らは、右の被害者の損害分金二二九二万四六八〇円について、それぞれその二分の一である金一一四六万二三四〇円を相続によつて取得したことになる。

そして、これに原告ら固有の損害分各金二八〇万円を加えると、原告ら各自につきそれぞれ金一四二六万二三四〇円となる。

2  しかるに、本件事故による被害者の死亡に伴う損害については、合計金二八九二万円が既に原告らに支払われており、これを原告らに各二分の一ずつの割合で按分すると、それぞれ金一四四六万円となるから、本件の損害賠償請求権は既払金によつて全て填補済みであることに帰着する。

第四結論

以上の次第であるから、原告らの被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がないから失当として棄却されるべきである。

(裁判官 嶋原文雄)

現場見取図

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